フィリピン再訪 演劇ワークショップでアジアの農村をつなぐ レポート5

演劇ワークショップでアジアの農村をつなぐ レポート5
「マヨヤオからフンドゥアンへ」

太陽がでた!
雨季に入り雨続きで、フィリピンに来てから朝日を拝むのは初めてです。朝から、収穫した米稲の束が一斉に干されます。
朝ご飯(米と野菜と甘いソーセージと目玉焼き)が終わり、Chayaという遠くの山まで一望できる山の頂へ向いました。
ここイフガオ州は第二次世界大戦で日本軍第14方面軍、山下奉文大将が率いた陸軍が飢餓と戦いながら進攻したところです。
このマヨヤオのNagchajan山にも日本軍は入って行きました、山の手前にあるここChayaでは20人の日本軍兵士が山頂に陣をとり、攻めてくる敵を上から銃撃しました。
とても悲しくつらいです。フィリピンに来る度に、戦争は終わっていないと感じます。私のからだがイーグルになったかのように遠くの山まで見渡せるこの美しい場所で、多くの命が失われました。
1944年から45年にかけての第二次世界大戦フィリピンでの戦争の犠牲者は、公式発表では日本兵約43万人、そしてフィリピンの一般市民の犠牲者はその二倍以上の約100万人です。
Chayaとは、天に近いくらい高い場所を言うそうです。
私たちはChayaを出発しバナウエへ帰り、撮影班のGladys,Rainel,Alvin,そしてスタッフのFaith,Rochelle,岩波康平君も合流し、午後からは学校訪問の続きで、フンドアンに向けて出発です。雨が大降りになる前に。
一校目は、Bangbang National High Schoolです。この学校からは少しだけ離れた山々が見渡せます。休火山、ピラミッドの形、女性が横たわる形。絵を描く事が好きな男子学生のアンドリューは1キロ離れたところに住んでいるらしくいつもみている山の話をしてくれました。
二校目は、Hungduan National High Schoolです。この学校はハパオ村にあります。ハパオの川ではもうすぐ収穫祭プンヌックがあるので、学生達もそれに向けて伝統的なダンスを猛練習しているところです。プンヌックは3つの村の対抗で、綱引きならぬ木を引っ掛け合って引っ張るそうです。その間に藁の人形を挟み、木の引っ張り合いで藁がこすれ人形が川下に流れたら、川下の人達は「今年の収穫も終わったか」と知るそうです。見てみたいですね。この学校では演劇にも慣れ親しんでいて、校内にステージのようなものがあったり、各所にオブジェが飾られていたり、軽音楽部が活動していたりしました。先生の部屋に入ると演劇の小道具が所狭しと飾られ、村を撮った写真をi-Padで見せてくれました。帰り際、かわいい小柄な女性が、メリエンダ(おやつ)にお米の干したものを売りに来ていたので買ってみると、ほんのり甘くて、素朴でいいなと思いました。
三校目は、Gohang National High Schoolです。ここに着く頃にはすっかり雨で、学校までの急な坂を車で行くのは難しいと思ったほどでした。それにこんな坂の向こうに本当に学校があるの?と疑いたくなるほどでした。門が見えて来たときは、やっぱりあったんだと驚いたほどです。どこが入り口か探る様に入って行くと校舎の壁のあちらこちらにカラフルな絵が描かれていました。それが上手で、もしかしたら生徒達は絵を見慣れているのかもしれないと思いました。
雨の中、室内運動場では生徒がバスケットボールをしていました。明日からのワークショップでは、この絵のイメージを真似るのではなく自分たちの絵を描いてくれたら最高だなと思いました。
さて明日から二日間のワークショップがはじまります。
心の風景を描いてもらえますように。。

2018年7月20日(金) 快晴、くもり、雨、小雨