岩手再訪 20180403

2018年4月3日(火)くもり

朝ごはんは小綿家の田んぼで作られた米。みそ汁に玉子焼きに玉山薮川のそば茶に岩泉のヨーグルト。
玉子焼きの味は家庭によって違うことが嬉しい。小綿家は醤油味だった。
米の種類はあきたこまちで、今は次の田植えまで、米が芽を出すのを待つ時期らしい。
芽が出たら、苗床に移し成長させ、田んぼに水を入れトラクターで土をかき混ぜ、田植えをする。
東南アジアでは苗を田植えせずに、そのまま米を蒔くので苗がまっすぐ上に育たないことも多いらしい。
車道脇にはあちらもこちらもフキノトウが芽をだしている。
通勤途中の中央公民館近くで降ろしてもらい、中津川の堤防を降りて行くと芽を出しはじめた草花でいっぱいだ。川は雪解け水で水かさが増している。
上の橋まで歩き、老舗の和菓子屋に立ち寄ると解体工事がはじまったいた。
10時半、彫刻家長内さんとの待ち合わせまで30分あるので三石神社の鬼の手形を見に向う。
鬼の手形は岩手という名前のはじまりで、昔人々を苦しめていた鬼が岩に縛られ、もう悪い事はしません!と岩に手形をして約束をしたというものだ。
岩に近づくとパワーが強くて圧倒された。しばらく岩を眺めていると長内さんの姿が見えた。
大船渡で再会を願ってから5年が過ぎていた。
長内さんは5年半前中央公民館での仕事の担当者で半月間ホームステイさせていただいた。
車に乗り盛岡市内を出て長内家のある旧滝沢村まで懐かしい唐松林の道を行く。
トトロの猫バスが走ってきそうな道は何も変わっていなくて嬉しい。
山道に立つロッジのような家で暮らし、長内さんは彫刻を、奥様の潤子さんは陶芸家の工房を開いている。
今日は久しぶりに長内家に泊まらせていただけることになった。
家に到着すると潤子さんが器を作っているところだった。
お二人の変わらない笑顔が何よりも嬉しかった。
長内さんは薪を積み降ろしに、私は潤子さんの横に座りしばらくぶりの話をした。
玄関のそばに次から次への顔を出すフキノトウを初めて摘んだ。
最初は枯れ葉に隠れて気づかなかったフキノトウだけど、目が慣れてくると向こうの方から呼んでいるようにわかってくる。
お昼は摘んだばかりフキノトウをみそ汁に、そして秋に収穫された栗を入れたおこわと柳葉魚をみんなで囲んだ。
フキノトウはこちらではバッケという。潤子さんと神戸に持ち帰り用にばっけみそを作り、畑で越冬したネギを収穫した。
私の小さな畑にアドバイスもしてもらった。帰ったら根菌を持つ大豆をあちこちに植えよう。湿った日陰には茗荷が良いらしい。
夕方が近づき雫石の網張温泉へ向う。
積もった雪が蒸発し、そこに横から風が吹き、林の中を真白な霧が行く。昔話に出てきそうな厳しく美しい忘れられない風景だ。
露天風呂に浸かりながら林を眺める。白樺が柔らかな薄桃色に見えるのは雪があまりに白いからでしょう。
夜は、パエリア、穫れたてのネギ、ワイン、スペインの話もたっぷりと、薪ストーブの部屋で過ごした。

岩手再訪 20180402

再会を求めて東京から岩手へ
日記ですがブログに残しておこうと思います
雑な文ですが。。

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2018年4月2日(月)くもりのち晴れ

朝6時過ぎに東京駅より夜行バスで盛岡駅に着く。夜中少しづつ冷えていたが盛岡に着くと曇り空で一層寒く感じた。
岩手だ、盛岡だ!うれしくてたまらない。なんでこんなに嬉しくなるのだろう、、自分でも不思議だ。
どの喫茶店も7時にならないと開店しないようで、キャリーバックを片手に寒空の下で散歩も面倒なので岩手銀河鉄道の改札辺りを行ったり来たりしながらドトールコーヒーの開店を待つ。
盛岡駅が慌ただしくなってきた。今日は新年度の始まり日だった。
ドトールの奥の隅っこの席に邪魔にならないようにキャリーバックを置き、雑誌coyote森山大道特集のページをめくる。昨日までの東京を思い出した。
8時過ぎにドトールを出て待ち合わせ場所石割り桜へ向う。歩いて30分くらいのはずだ。
駅を出て開運橋を渡る。とても寒くてたまらない。信号待ちで隣に立つ人はみんなコートを着ていないことに驚く。
少し早く着いたので斜め前の石のベンチで真弓ちゃんから「二つは食べて」と手渡された草餅を食べる。
ぐっと、よもぎの香りで目が覚める。
石割り桜の周りを歩く。やっぱり花見はもう少し先だよね。。小さな蕾がまだまだしっかり閉じたままだ〜。
9時になると小綿さんが黒い車で迎えに来てくれた。神戸で会って以来だった。
小綿さんは盛岡市の職員で5年半前は盛岡市中央公民館に勤務されていて、私が参加させていただいた「つながるアートコミュニケーション展」では大変お世話になった。現在は都南図書館の館長をされてる。
今回の岩手訪問は小綿さんがいなければ実現できなかった。今年3月11日にFBの投稿で岩手再訪を願った。それをみた小綿さんが「滞在費がどうにかなれば来れますか?」と連絡をくれたのがはじまりだった。今日から小綿さん宅にホームステイさせていただくことになっている。
小綿さんはツアーコンダクターのように、私の滞在が充実したものになるよう予定を組み立ててくれていた。私は車がないので(車の免許も持っていないので話にならない)送迎なくしては旧玉山村の小綿家と町の往復は大変だということもあってのことだった。
まず岩山から市内を展望し、そのあと赤沢さん宅に向う。
赤沢さんは盛岡市職員を退職されている。小綿さん同様、5年半前は中央公民館勤務で館長補佐をされていた方で随分お世話になった。赤沢さんは東日本の地震後「いわて3.11絵本プロジェクト」の事務局長をされてきた。
5年前に友人達と行った「おぢゃっこの時間 東北−神戸」の寄付金を絵本プロジェクトに寄付したことがきっかけで、神戸市立兵庫図書館と絵本プロジェクトが繋がった。
赤沢さんと合流し、白龍でじゃじゃ麺を食べ、もりおか啄木・賢治青春館に立ち寄り、14時から山岸のコープ2階会議室で開かれる絵本プロジェクトの定例会に参加する。参加者は20人ほどでみなさん元気と気の良い人達だった。代表の末盛千枝子さんも途中から来られ、東京のお土産話をしてくださった。末盛さんとお会いするのは初めてだったが、私の方はゴフスタインの絵本(すえもりブックス出版)や末盛さんのお父様の舟越保武さんのファンなので、いつかお会いできることを心待ちにしていた。
会議は16時に終わり、小綿さん赤沢さんとともに、浜藤の酒蔵を改装して出来たもりおか町屋物語館の喫茶室へ。ここの初代館長は彫刻家の長内努さんで喫茶室のスタッフは長内さんの後輩である岩手大特美コースを出た画家さんがいらっしゃる。店内では展覧会も開かれている。
今日の町でのプログラムはこの辺りで終了。旧玉山村の小綿さん宅へ帰路につく。
途中、岩手山姫神山が向かい合う所に案内してもらい車を降り写真を撮った。日中は姿を見せてくれなかった雄大休火山岩手山が目の前に現れた。大きな声で誰かに伝えたいほど感動した。
帰りはスーパーに寄る。豆腐は木綿が主流でそれも3丁セットで売られている。岩手は全国で一番豆腐の消費量が多いらしい。こんにゃくの種類が多いことにも驚いた。
小綿家のある旧玉山村は石川啄木の故郷でもある。「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」北上川の傍に石碑が立つ。
家に帰ると、一人二人三人と家族が帰って来る。
食卓には郷土ジャンクフードのそばかっけ。
今日から1週間お世話になります。

再会を求める旅 二

3月31日
夢見た東京での日々が確かにあった
と新宿でひとりワインを飲みながらうつらうつらとする
結婚祝いは東京駅構内のフランス料理店薔薇だった
東京で新しくやり直す私の気持ちを知った友人二人が用意してくれた夕べだった
出発は駅だね、それも東京駅、と切ないほど心に結んだ
友人の一人は今でも親しい
今日はその友人の家に泊まらさせてもらう
リビングルームに飾る絵を描いてほしいと言ってもらった
その言葉はまた私の背中を押してくれた
感謝する

再会を求める旅

3月31日、新神戸から東京へ向う
会いたい人に会いに行く
旅のはじまりに、確かめたい事がある
雑誌SWITCH,coyote,MONKYを創ってきた編集者新井敏記さんとの再会を願った
父へ届いた見知らぬ国からの手紙に夢見た「私書箱1284」シリーズの最終章へむかう旅がはじまる

再びたってみよう

3月で5年間勤めた高校でのアルバイトを卒業し、フリーランスとして再出発しました
特に何か収入がある見込みもないですし、この5年間お金の返済(海外留学や20年前の地震時の借金など)を返す事で精一杯で貯金がたまったわけでもないですが。
身体と心に従って次のステージへ行きます
今、原野に立っている気持ちです

これからもよろしくお願いします