使命

母校、京都嵯峨芸術大学に彫刻家、外尾悦郎氏の講義を聴きに伺いました。

外尾氏はバルセロナにあるアント二・ガウディ設計のサグラダファミリア教会の彫刻主任でいらっしゃるので、知っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
私をインドに導いてくださった先生がお声掛け下さった今日の講義でした。
その話の中には、私が日常繰り返し考えて来た事やインドで学んだ事、答えを出す事に戸惑っていた事へのヒントがありました。
私にできることを、しっかり努力を惜しまずやっていこうと、あらためて背筋が伸びました。
外尾さん著「ガウディの伝言」に書いていらっしゃる事も多いと思うのですが、今日直接伺った話を私のメモから少し書き出してみます。

「教会はいつ完成するのか?我々は人間というものをつくる教会を作っている。ですからサグラダ・ファミリアが完成する時は人間が完成する時」

「自然に逆らう事はできない。それを自然は決して許さない。逆らうのではなく、そこにある力をいかに利用するか、そこに人間の知恵を使う」

「現実を観察することから新しい扉が開く」

「記憶は愛情によって変わる。記憶をどう操るかが大切だ」

「私たちは何も知らないから、それに名称をつけたがる。それによってコントロールされた中にあっては本当の自由は無いのではないか」

「オリジナリティとはオリジン(根源)に戻る事。一つの事を知るためには3つの事を知らなくてはいけないように、オリジンをみつけよ」

「そこにあるものは何も変わらないけど、みている側が変わることで、常に新しい事を発見する。それを芸術という」

「ガウディは幼い頃からリュウマチだった。生涯結婚せず、部屋に置かれたオブジェを友達のように思った。グエル公園の口を開けて笑っているヤモリのオブジェも友達に笑っていてほしいと思ったのではないでしょうか。芸術は人を幸せにするもの。人と共鳴できるもの。人が幸せだから自分も幸せになる。他人の中に自分が生き、自分の中に他人が生きる」

「神がつくったものを人は越えてはいけない。そこには計り知れないものがあることをわかっていなくてはいけない」

「違いがあるからこそ良い。もしそれがなくなったら文化は消滅する」

「おどおどとこわごわと道を歩く若者はどんなにすばらしいか。人の歩いた道を堂々と歩く若者はどれほどみっともないか。といったことをゲーテは言った。おどおどとこわごわで良いから自分の中でどうしてもわからない疑問をぶつけてみて下さい」

「こうやって話している間に私たちは15万キロ移動した。地球は太陽系の中で時速10万キロで移動している。ガウディは眼に見えないものをみていた」
 
私には長い間、「人はなぜ幸せにならないといけないのか」と考えていた時期がありました。
しかし「なぜ幸せにならないといけないのか?」ではなかった。
「本当の幸せとは何か」を人は知ることができる生き物だと思うのです。
すでに備わっているものに気づく。そしてどうするか。
幸せはなるものではなく、気がつくものではないでしょうか。
講義が終わって外尾さんと話をさせていただきました。
「何もない」という言葉がきっかけでインドに渡った話をさせていただくと「全てがあったでしょ」とおっしゃいました。
「はい。全てがもう備わっていました」これが私の答えです。