ジローナでの休日

カタルーニャ州ジローナの残るゲットーは今では観光地になっている。
坂道になった石畳の路地にはジローナ名産のカシスで作られた濃厚なリキュールがプロポーションのよい細長く透き通った瓶に詰められ、レンガと木目のバランスがとれた物産店に所狭しと並んでいる。
店の中には親子だろうと思う美人の女性二人がいて、とても似た手つきをしてスペイン語を話す客の相手をしている。時々、他の客を気にしては、英語やフランス語で話しかける。「どうぞよかったら試して下さい」と。アジア系の客は私一人だった。「そう言えば着いてからあまりアジア人は見かけていない」と思った。主人のような身のこなしの片方の女性は、また別の客に話しかけにいった。そのおかげで私は彼女達の試飲サービスに休暇の時間を費やすことなくホームステイ先のクリスティーナに美しいボトルのカシスリキュールを買うことができた。

路地は教会に向って上り坂になっている。
先へ先へと観光客が上っていく。
薄暗い店内に古書がぎっしりと山積みになった書店があった。店先には「絵はがき10枚1ユーロ」と表示されたワゴンが坂道に少し傾きながら置かれていた。絵葉書の束を手にするとずっしりと重たかった。湿気でカビ臭く、幾束か繰ってみたけれど、どれも同じ柄のそれもどこか微妙にアングルの外れたジローナの町の写真が印刷してあった。
私は20代の10年間、雑貨屋を営んでいた。15分間に300種以上のポストカードの束から、これといったカードを仕入れるという仕事をしていた。ヨーロッパの古いカードが持つ魅力を嗅ぎ分ける感覚は、今も全ては失っていないと思っている。
カビの中からお宝を拾い上げて、そういった感じを喜んで受け取ってくれる友人の顔を想像しながら、今日の出来事をすらすらと街角のカフェに座って書き綴り、軽々とポストに投げることを夢見ていたんだ。結局葉書は買わなかった。
書店を通り過ぎると細い路地に陽がさし込んだ。正午近いことがわかった。

ここにはときどき路地の脇に門のような入口とも出口ともわからない通路がある。
どちらが表で裏なのか、ここは外なのか内なのか、わからない。
通路を行く子ども達の笑い声や革靴が石を叩く音に探ってみたけれど、追いかけようとすると過去の世界に埋もれていってしまうように思えた。
いや、わからないことにしたかったのかもしれない。
人はここで何を聞いたのだろう。何に心を向けたのだろう。毎日どのような暮らしをしたのだろう。
わからないことにしたかったのかもしれない。

路地を越えると大階段があった。
大階段をのぼると、からだを反らせるほどの大きな教会があって鳩が飛んでいた。
大階段では様々なポーズをして何組もの人達が写真を撮り合っていて、私は空を見上げていた。真っ青な空と向こうの方に白い雲があって、足下では鳩がクウクウと喉を鳴らし下を向いて歩いていた。
やっと辿り着いた路地の先の光の射すところでのことだった。

Girona,Cataluna