ESPERO

今日は立春に大安でした。
空を見上げると夏のような真っ青な空と白い雲、耳がちぎれてしまいそうな冷たい風が吹いていて、こういう日もいいなーと思いました。

今日は、今日のタイトルにした ESPERO という言葉の話をします。

エスペーロはエスペラント語ポルトガル語で「希望」を意味します。
スペイン語では「私は願っている」です。
これは、私の祖母の姉であったジョンばあちゃんが昭和のはじめに元町で経営していた珈琲店の名前でもあります。
祖母は東京の銀座4丁目で生まれましたが、元は三重県紀伊長島出身の家でした。祖母の姉にあたるジョンばあちゃん(ジョンという犬とのみ暮らしていた)は、神戸に移り、女一人で第二次世界大戦前からシンガポールへ船で渡り貿易を生業としていました。そしてその頃、神戸元町珈琲店の経営もはじめ、手伝いに私の祖母を紀伊長島から呼び寄せたときいています。元町に生まれ育った祖父と祖母が出会ったのもESPEROだそうです。私は、祖父とは高校2年生まで、祖母とは3年生まで元町の家で一緒に暮らしていました。私はおばあちゃん子だったから、幼い頃から薄暗い祖母の部屋で、白金カイロの準備を手伝いながら昔の元町やエスペロの話をよく聞きました。
メディアアーティストで美術音楽愛好家の森下明彦さんが以前、MOBO MOGA(モダンボーイとモダンガールの略)の展覧会を企画された際、ESPEROの事を知ったと、私に話を聞かせて下さったことがあります。コレクターの方が持っていらっしゃるESPEROの宣伝マッチの資料も頂きました。ESPEROは文化サロン的要素も持った珈琲店だったらしく、定期的に作家の作品展もしていたらしいです。途中で経営者が変わったようなので、定期的な展覧会がジョンばあちゃんの企画だったかどうかはわかりませんが、こういったスタイルの店がその当時元町に存在していたことは、夢があってとても素敵だと思います。私もお客さんになって行ってみたい!珈琲豆はどこから仕入れていたのかな?ミックスジュースはまさかないよねー、トーストはあったのかな?、レコードは?きっと音楽無しで、食器の音と話し声だけで賑わっていたんじゃないかな?とか。わからないことばかりで楽しいです。母が祖母達から聞いた話では、外国船が中突堤に着いた時は大勢の人が元町を歩き珈琲店はとても忙しかったそうです。場所はちょうど、昨年閉店した海文堂書店の向かえ位です。

ずいぶん経つまで、私は「エスペロ」がどういった意味か考えた事はありませんでした。
英語を勉強するようになってもその言葉は出てこず、ラテン語を少し勉強するようになって「希望」という意味だと知りました。
その後、ブラジル育ちでポルトガル語スペイン語が堪能なゆみこさんに話をしたところ、手を叩いて喜んでくれました。「すごいねー。素晴らしいね!それにやっぱり神戸だね。ブラジルへたくさんの人が向った所だからね!!」って。そしてとても大事な事を教えてもらいました。
ESPEROは、誰かへの言葉。「私はあなたの・・・願っている」ということ。じゃあね!っていう時にも「エスペーロ」って添えるらしい。

espero

元町通り3丁目 「マスヤ」の向こう側に「ESPERO」の看板