二つの思い出

無数にある記憶の引き出し。痴呆症になるということは、この引き出しの操作ができなくなるということなの?引き出しの中の色々な事が、いつの間にか無くなってしまうものなの?私は時々こういう風景を思い浮かべる。私の中の記憶の引き出しの前には、番人がいて私の記憶を出したりしまったりしている。彼はちっちゃな小人。部屋中に張り巡らされた引き出しの前に、たくさんの鍵を持って、椅子に腰をかけている。私に必要な記憶をどこにしまっているか、全部知っている。私がおばあさんになる頃、彼も居眠りをすることがふえて、時には鍵を落としても気づかないほど。こうやって、私の中の記憶の番人さんも、私も老いて死を迎える。形ある物は時間から逃れることはできない。時間は私たちに生も死も与えるのだ。
今日は姉の誕生日だった。姉に似合いそうなローズ色のローズを買った。3日ほどでしおれて来るそうで、美しい形と香りのローズです。
自転車の籠にローズ色のローズをのせて家まで帰る途中、すっかり忘れていた二つの思い出が浮かんだ。一つは20年ほど前のこと。北野のローズガーデンという建物の中庭に薔薇屋さんがあった。トアロードのミカエル国際学校に通っていた頃、そこに寄ってバラを一輪かって帰ることが好きだった。自転車にバラを乗せて、その名前を口にしながら坂を下った。もう一つは元町にあった茶房マドゥバンティのこと。いいお店だった。マスターがある日、私に教えてくれたこと。「花は私をみてみてとは言わないけど、その香りは柵を越えていいにおいを届けてくれる。美しいとはこういうことなんでしょう..」