タゴールソングをききながら

タゴール大学留学時代の私の部屋。
時々ネズミも走るし質素だったけど、寂しいとか言ってられなかった。

一番に買ったものは布団。
布団屋で買った敷き布団と枕を自転車の後ろに紐で縛り、グリップ握りしめ、マーケットから家まで赤土の道を走って帰ってきたことを思い出します。夏はとても暑いので掛け布団要らずでした。
部屋自慢の一つは清潔なお風呂場でした。
冬の寒い頃は、塩で身体をこすってから水浴びをしました。
最初はとても冷たいけど、布で水を拭き取ると、身体の奥の方からむくむくと熱がふくれあがってきて、生きているんだって益々?実感できました。
毎夜「今日も生きれました。ありがとう」毎朝、太陽に「おはようございます」と手を合わせ、部屋をお香で清め一日の無事を祈りました。
少し大げさだけど、生きている事が当たり前と思えない毎日でした。
何も保証のないところに放り出された気持ちだったからかもしれません。
そして実際に交通事故にいつ合ってもおかしくないくらいなのです。
信号のない道路を、大型バス、車、バイク、人力車、オートリキシャー、自転車、牛、人、犬が一緒になって、それぞれが行きたい方向に向って進んでいきます。時間によっては大渋滞です。
そこを自転車で行くのですが、曲がる時は手旗で合図します。道が混んでいる時はバイクや車に「私が先!」と主張しないと走り始めることも出来ないほどです。二人乗りの後ろに乗る時は、足が車やバイクにぶつかりそうになり、うっかりしていられません。
帰国したばかりの頃は生活の癖が抜けず、車を手で止めようとした事があります。二回くらい。迷惑だったでしょう。

マッチ一本が貴重で、折れないようにそおっと擦ったことも、
バターが貴重で、パンケーキに溶けていくバターをみて、本当に幸せだったことも、
私の宝物です。

タゴールソングを聴いていると、シャンティ二ケトンでの日々を書きたくなりました。