2011.3.11以後(1)

明日で4年。

2011年3月11日。
「東北で大変なことが起きている。大きな地震津波もきている」
と、美術家マスダマキコさんの声が聞こえてきました。
私はちょうどC.A.P.のアートフェアの準備をしている最中でした。
隣の部屋にいた東野健一さん(インド紙芝居師)は、地震がとてつもない規模だと知り深刻な顔で、
「大変なことになったな。福島には原発がある。そこにも来てるはずや」と言いました。

家に帰りテレビをつけると大船渡が映っていました。
信じられない映像をみて、
何が起きているのか、どうなってしまうのか、何をすればよいのか、頭の中は真っ白になり、
ここまで放射能がもうやって来ていてもおかしくないと、
目に見えない得体のしれない不安が心をじわじわと染めて行くようでした。

C.A.P.は予定通りアートフェアをするという舵をきり、
次の日、私も絵の前でお客様を待ちました。
やってきたお客様の中には「家にいるとテレビを見てしまうし、苦しくてどうしようもない、逃れるようにアートフェアにやって来た。ここに来て絵をみて心が安らいだ。」と絵を買って行かれる方もいました。

その後、私はインドとスペインに勉強をしに向いました。
日本を離れたのです。
行く先々で、大地震について、原発について、どう考えているかを聞かれました。

(つづく)

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2011年3月11日のことから今について、考えてみたいと思います。

アートフェアで買っていただいた絵のひとつ。