日本の風景、その一日 (一)

天上に北斗七星。
その輝きは永遠にさえ思えます。


日曜日はインド、シャンティニケトンからの友人と丹波立杭焼の里と神戸の山里、淡河で茅葺屋根の家に住む陶芸家の一家を訪ねました。
友人はベンガルの自然の中に住む高い感性を持つ陶芸家で、展覧会を機に初めての日本に来られました。

朝の三宮駅、長いエスカレーターの上から薄葉色のサリーを纏ったリピさんが手を振っています。リピさんは昨日出雲から素晴らしい旅を終えて帰ってきたばかりで、その話を聞くことが楽しみのひとつです。
出雲の旅は格別だったようで、その山並みと蛇のように流れる川、時間の流れ、小さな神社の佇まい。陶芸家であり茶人の友人とすごした時間。鳥の声真似も、どれほど素晴らしかったか、教えてくれました。耳を澄ますと私も出雲を旅したようで幸せでした。
それから友人達と合流し、車で六甲山の南から北へ向かいました。車窓からは神戸と大阪湾を一望でき、神戸は都会だなあとぼんやり思いました。
一時間ほどして丹波に着くと、透き通るような青い空と、柔らかな緑に包まれた山の斜面に登り窯が見えました。
陶芸美術館で展示をみた後、山を正面に見ながら昼ごはんをいただきました。
思い着くままにいろいろな話をしました。
竹炭でコーティングしたお菓子の話から竹炭の効能まで。日本にはほとんど原始林はない話から日本の近代の歴史の話。いま暮らし方を見直す人が増えているのではという話など。
そのなかに、リピさんが出雲で不思議に思った話がありました。
輸入の竹細工のものをよく見かけるが、なぜ自国のもので自ら作ることをしないのか?と。
輸入の方が安くつくかもしれないが、国産のものを使わずにわざわざ輸入するその考えが理解できないということ。

内側ではいつの間にか当たり前になっていることを、外の人は指摘してくれます。
何を大切に思い、暮らしているのか?立ち止まり考えて見ること、大事だなあと思います。

登り窯見学のあと、工房では作りたての柏餅をいただき、そして淡河の茅葺の家へと向かいました。

続く