日本の風景、その一日 (二)

家の前の路地は花の香りです。
今日は蜂も蝶もよく飛び回り、夏のような日差しのもと風が草を揺らしています。
蟻はミントの柔らかな丘を早歩き、青虫は南天の葉の裏に隠れ、
川はぞおぞおと石を滑っていきます。
隣の家の屋根にはアライグマがやってきました。

さて、先週の話の続きを。

私達は丹波から淡河(おうご)へ向かいました。
淡河は神戸市北区にありますが、六甲山の南とは違う、日本昔ばなしに出てきそうな農村部です。

私達が訪ねたのは、陶芸家十場天伸さんの工房がある茅葺きの家でした。
脇には昔からの姿を残した段々畑。背には屏風のように空に真っ直ぐ伸びた木立。林から七色のように美しい鳥の囀ずりが聞こえて来ました。
天伸さんの名前の通り、です。

茅葺きの屋根裏の床は冷やりしていて、葦が湿った匂いがリピさんの土の家の匂いと少し似ていました。
屋根の正面てっぺんには竹の根っこがお飾りされていて、尋ねるとこれは淡河集落の茅葺き家の特徴だそうです。
そのあと、温かいお茶とお菓子を囲み皆で話をしました。
話はリピさんが住むそして私が住んだシャンティニケトンのことになり、天伸さんのお母様からタゴールの思想とは?と質問が上がり、リピさんが答えてくださいました。

タゴールが設立したシャンティニケトンにある大学は、
ヴィシュヴァバーハラティと言うが、
ヴィシュヴァは世界、バーラハティはインドという意味です。
垣根なく、世界とインドが通じあい学ぶ場。
例えば学校では木の下で授業をします。それは閉めた扉の中ではなく、自然の中で先生自身が鳥の声をきき、風の感じながら、先生のフィルターを通し生徒に教えることは非常に大事なことです。
そういう考えのもと、小学部から大学部まで同じ敷地内で学びます。』

いつでも扉を開いていることをタゴール師は唱え、近代インドのリーダーを育てようとしました。そしてネルーなど大統領はここから輩出されました。
タゴール師が唱えた扉を開いていることこそ、グローバルということではないかと思います。

その学校も残念ながら近頃変化があり、
学校敷地の内と外を隔てる壁が作られました。
今までこれという門や壁がなかったことは、日本ではありえないことではありますが。

リピさんは天伸さんの作られた黄色い格子模様のお洒落な小皿を六つ手に乗せて、シャンティニケトンで小さなお菓子のせるの、と嬉しそうでした。

さてもうそろそろ帰る頃。
美しい時間をお土産にして帰ります。
足元に落ちた一葉の色づきのような何にも属さない時間でした。