岩手再訪 20180406

2018年4月6日(金)くもり

家を出ると雪が積もっていた。
毎日、好摩、渋民を通り盛岡の中心部へ送ってもらう。
小綿さんの家から最寄りの駅は好摩駅になる。
渋民には役所の出張所や啄木記念館もあるが、好摩駅の周りには少しだけ店や家があるが静かな感じだ。
駅が出来た頃には駅の近くには何もなかったらしい。
その理由は鉄道が出来たということは、都会から病原菌も入って来るかもしれないということで、駅は人々の暮らしから少し離れたところに作られたらしい。
好摩の辺りには妖怪あずきとぎの石碑がある。
明圓寺には一字一石一礼塔というものが立っていて、これは米飢饉の時に亡くなった人々の魂を鎮めるために一つの石に一つの名前を書いて供養したらしい。
米といえば、四十四田ダムに向う道から見える大きなパイプは水を流すためのものらしく、一時期、稲作推進の政策の際に、渇水を防ぐため引かれたものでかなり長い距離を通しているという。大胆な政策だ。。
もりおか町家物語館駐車場に着くと絵本プロジェクトの赤沢千鶴さんと名古屋理恵さんと澤口杜志さんが待っていてくれた。
今日は3人で沿岸部の大船渡、陸前高田に向う。しばらく南下し途中遠野宮守の道の駅に寄る。
ここの眼鏡橋宮沢賢治銀河鉄道の夜のモデルと言われている。
今は釜石線だが賢治さんが生きた頃は軽便鉄道が通っていた。
大船渡に着くと盛駅近くのNPOおはなしころりんの江刺由起子さんに会いに行く。
おはなしころりんは読書ボランティア団体で市民の茶の間的存在になっている。
江刺さんはいつ会ってもパワフルでしっかり社会を見つめながら必要だと思う事を形にされる。その行動力と決断力には脱帽する。
スタッフの方が「ざっぱかしですけど」とお茶を出してくれた。ざっぱかしというのは粗末な?雑な?いや、、なんと言うかスナック菓子みたいなお菓子ですけど、、と言う時に使う気仙語らしい。
気仙語といえば、医師で気仙語研究者の山浦先生のことが気になっていた。
江刺さんに伺うと診察もされているときき安心する。
少しでも会いに行けばよかった。
途中から大船渡市会議員三浦隆さんが来られる。
5年前、三浦さんのお宅に友人達と泊まったことを思い出す。もうお母様も飼っていた犬も他界したとのこと。
犬の散歩にでかける姿が偲ばれる。
時間は短かったが、No.3ギャラリーの水野泉さんを訪ねる。顔が見れて良かった。
蔵の中では5月祭の山車の制作中で、泉さんは隣の趣のあるオフィスで仕事中だった。
ここ水野商店は陸前高田に本社がある酔仙酒造のはじまりの地で、五葉山からの伏流水に守られている。
お昼ご飯を食べながら三浦さんから大船渡の今のことをきき、それから陸前高田に移動した。
読書ボランティアのお二人に会う。
眺めのよいカフェができたということだったが、海へと向う窓の外はまだ新しい建物は建っていない。まだ街灯もないが、ここがメインストリートになることは決まっているそうだ。
海と反対側に出ると目の前に商業施設があり図書館が併設されていた。
木で内装された明るい図書館で、そこで開いた畠山直哉さんの写真集が印象的だった。
画家の鷺さんが元気だときけてほっとする。
帰りはゆっくりと、、宮守の道の駅にある賢治の資料館に立ち寄りながらお話しながら、少しずつ小綿さんのいる都南図書館へむかう。
大船渡と陸前高田に行けたことに感謝する。