岩手再訪 20180407

2018年4月7日(土)くもり

今日は小綿さんと甥のたかくんと久慈へ向う予定だ。
その前に渋民の石川啄木記念館によるとちょうど妹光子の企画展示をしていた。
光子は宣教師と結婚し神戸に移り住んだ。ちょうどわたしの家から徒歩5分ほどのところだ。
これほど雄大な農村部での暮らしを経て移って来た光子にとって神戸はどう見えたのだろう?と気になる。
玉山村に来るまで啄木の事はほとんど知らなかったが、少しずつ人間らしさに好感が持てるようになってきた。神戸に帰ったら「啄木かるた」をしてみようと思う。
展示室奥では「サルと人と森」が上映中だった。
記念館を出て車は北上する。
山形村、平庭高原まで行くと昼前になっていた。
昨日積もったの雪が高い樹の上から堕ちて来て、車の屋根にぼとんぼとんと楽しい音を作った。
白樺並木を越えると闘牛場が見え、闘牛場があることに驚いた。
久慈渓流に入ると一昨年の台風の被害で倒木がそのままになっていて被害の大きさに驚いた。
知らないことばかり、、久慈を初めて訪問する。
久慈に着く、道の駅に向う。
画家の飯坂さんから久慈に行くなら県北のソウルフード豆腐田楽を食べてみてときいた。
道の駅内のスーパーマーケットのレジの横で実践販売をしていた。じぇじぇじぇ!
味噌田楽のような甘いものではなく、ニンニク味噌が豪快にたっぷりぬられていてかなり食べごたえがある。
お腹が膨らみすぎて車に乗るのも苦しい。
その調子で丘の上のあーとびる麦生へ向う。アーティスト熊谷行子さんに会うために。
あーとびる麦生は閉校した麦生小学校・中学校を熊谷さんがアートの現場として再生させた場所だ。
熊谷さんとは5年半前、盛岡市中央公民館の「繋がるアートコミュニケーション展」でお互い参加アーティストとして半月間同じ場所で制作をしていた。
あーとびる麦生は今日まで冬期休みだったそうで本来閉まっている日だったが、午後からミーティングがあるということで、ちょうど私たちの車とほぼ同時に熊谷さんがやって来た。まるで奇跡的に熊谷さんに会えた。
嬉しくて骨が折れそうなほどハグをした。元気でよかった。腰の調子が悪いそうだがそれでも身体の奥からエネルギーが溢れている。
館内を案内してもらうと、広い体育館をはじめ至る所にアーティストが寄贈した作品を並べてある。
ひとまわりして会議室にもどると老年期のメンバーが元気溌剌とミーティングの準備をしていた。
元気な熊谷さんに会えてよかった。
アートビル麦生をあとにし小袖海岸へ向う。NHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」の場所だ。
日本地図にあるリアス式海岸を指でなぞるように車が断崖に沿って進んで行く。
海から突き出す岩の削ぎ落とされた形は美しい。
海女のセンターの前に停車し中に入ると海女さん二人と子ども二人が店番をしていた。
ここの海女さんがとったふのりやまつもが売られている。
震災後は海の中はヘドロで視界が無く潜るのがとても怖くて勇気がいったことや、今は海流がかわってしまったという話をきいた。海も変化し続けていることをきけたことは貴重だ。
震災で唯一流されなかったという船はゆらゆらと波に揺られながら停泊している。
海岸線から細い山道を越えて、野田を通り普代の鵜鳥神社へ向う。
鵜鳥神楽は岩手屈指の神楽で、以前大阪の国立民俗博物館や西宮神社で拝見したが大変素晴らしい。
地の力に満たされたダイナミックな舞は、この地の神様への祈りだったこと、その場にこれたことに感謝する。
山の奥にある本殿に参る事ができず残念ではあったが、山の入口に立っただけで身震いがするほど霊気が満ちていた。
またいつか来れたらと願う。
田野畑、岩泉を通り、凍った岩洞湖畔の雪解け道を行く。
もう少しすれば水芭蕉が美しいときく。
早道の姫神山を岩洞湖沿いにまわる道は雪解けで大変ぬかるんでいて私たちの車以外は誰もいなかった。
岩手山側に出た瞬間ぱっと視界が開け辺りがきらきらと夕日に照らされていて、ほっとした。
夜は盛岡の中心で還暦誕生日会に参加させてもらい、早速教えてもらったばかりの誕生日の歌を輪唱した。

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後日談_
ソウルフード豆腐田楽ををおすすめして下さった飯坂真紀さんよりメールをいただきました
飯坂さんは画家・ふるさと岩手の芸能とくらし「とりら」編集者です

「豆腐はかつてハレの食べ物でした。明治時代に中央の役人が初 めて岩手県各地を視察してまわったとき、どこへ行っても豆腐と油揚げばかりが出て来てウンザリしたことを書き留めているのですが、ハレ食の豆腐を貴重な油で揚げた油揚はほんとうにご馳走だったのだと。
少し前までは集落ことに豆腐屋があって、地域の冠婚葬祭にはフル稼働したらしい。県北のおうちで手作りの豆腐をごちそうになったこともありますが、ものすごく味が濃くておいしくて忘れられません。もう食べられないけど。」