岩手再訪 20180409

2018年4月9日(月)はれ

旅立ちの朝、米から芽が出ていた。
あかちゃん鬼の角のように、筍の先のように、ちょこんと芽が出た。
米の発芽を見たことない私にと小綿さんがこの数日間あたたかい家の中で少し温水を入れて育ててくれていた。
私が発芽で騒いでいた頃、みなさんとっくに仕事に出かけていた。
平日の朝はいつも慌ただしい。今日もいつも通りで、それが嬉しかった。
私はいつものようにご飯の後に岩泉のヨーグルトと玉山村薮川のそば茶をいただき一週間お世話になった家を出た。
小綿さん家族と過ごすことができて本当に楽しかった。

今日は小綿さんは休みで一日案内をしてくれる。
まずは近くの神社を参詣し、そのあと高速道路を使ってぐっと南下し伊達に入り平泉の達谷窟へ、そのあともう一度北上し南部にもどってきて花巻の宮澤賢治記念館に連れて行ってくれる予定だ。

まず一つ目は旧奥州街道沿いにある巻堀神社へ。ここは金勢大明神が祀ってあり、神様は男根の形をしている。森のような境内には大小の石の男根がいくつか鎮座している。
大きな石に近づくと凹みに水が溜まりそこに男根が入っている。この水が入った石の器は女性の体を意味している。
緑に包まれた境内を歩くと積もった木の葉に雪が残りフカフカしている。
立派な土俵では村人が御神事として相撲を奉納するそうだ。青年会の運動会では午後一番の演目は決まって奉納神楽だときく。神社がコミュニティスペースとして存在している。それは人と神であり、人と人の繋がるところとして。

二つ目は芋田駒形神社へ。住民は「蒼前様」と呼ぶ。
この神社は源義経が北に密かに落ちて行くときに、ここで乗馬が死んだので葬ったところという。義経の馬の供養を行った事から、ここは「チャグチャグ馬こ」の発祥地とされているそうだ。ここでのチャグチャグ馬この様子を石川啄木は渋民日記に記している。資料を読むと民俗芸能は供養踊りで住民達が大切に守っているという。
辺りは野鳥の声だけが山に響いている。木が並び立つ参道を行くと足下には杉の葉の間にクルミの殻がころりころりと姿を見せていた。
境内を出るとすぐ車道に出た。
玉山村と言えば背後に姫神山が、そして岩手山が見える。昔話では姫神山は岩手山と夫婦だったという。
姫神山は別名玉東山(ぎょくとうさん)といい、玉は金を意味しているそうだ。
姫神小桜という黒ごまのような模様の花崗岩からなる山で金がとれ、その金は平泉にも運ばれたらしい。
飯坂さんの話によれば、標高は大したことなくても登ると結構きつい山で、この山も信仰の山で、周辺にはかつて修験がいて神楽がいくつか伝承されているそうだ。
美しい玉山村をあとにして、一挙に南下し平泉の達谷窟毘沙門天堂へ向う。

達谷窟毘沙門天堂は801年、征夷大将軍であった坂上田村麻呂がここを拠点としていた蝦夷を討伐した記念として建てた岩と一体化したお堂だ。
蝦夷がここを拠点としたのは、谷を分岐する丘陵屋根に位置しているからだろうか。
毘沙門天堂のそばには高低差35mの岸壁があり、そこに大日如来阿弥陀仏のお顔が彫られている。
モノクロ映画に出てきそうな不思議な風景だと思ったと同時に何か寂しさを感じた。
神戸に帰ってから知ったのだが、私の母はこの達谷窟が大好きらしい。母が嬉しそうに話してくれた。

平泉を出て花巻まで北上する。
宮澤賢治記念館、イーハトーブ館、童話館へ行き、今日の宿「ケンジの宿」まで送ってもらう。
一人になるとぽっかり心に穴があいたようだった。
遠くには賢治が描いたなめとこ山が見える。その向こうの雪化粧の山を越えると遠野辺りだ。