岩手再訪 20180410

2018年4月10日(火)快晴

檜風呂で一泊2000円台という安さは信じられないほど、ケンジの宿は良く眠れた。
今日は鈍行列車で南下し、平泉毛越寺中尊寺に寄り一気に仙台空港まで行く。夜の便で神戸まで帰る計画だ。
朝、釜石線で新花巻から花巻へ行き、東北本線に乗り換えて平泉まで約1時間。
途中一関では通学の高校生と一緒になったが方言が少なくて驚いた。
平泉駅に着くと通勤通学の後なのでか乗降者は私を入れても5人足らずだった。

平泉は母が好きな場所で前から訪ねてみたいと思っていた。神戸に帰ってから母と旅の話ができることを楽しみにしている。
まずは駅から毛越寺まで歩く。10分ほどで着くらしい。長袖の重ね着だと汗ばむくらいの陽気で、道端には春の花が並んで咲いていた。
毛越寺に入ると花のシーズンと曲水の宴の準備が熱心に行われていた。
湧き水の池を廻り、眺めのよい場所でベンチに腰掛ける。
とても静かで遠く山にいる鳥の声さえ聞こえそうだ。
ここに立派なお堂や楼鐘が建っていた、そしてきっと鐘の音は遠くの山に反響して、誰もの元に届いた事だろう。
人が多い時に来ていたら、こんな思いになれなかったかもしれない。
毛越寺を出て、歩いて中尊寺に向うことにする。
菜の花もすっかり背を伸ばし、柔らかな風が流れていく。
茶屋でつきたての餅で腹ごしらえをして再び歩き始める。
中尊寺金堂は山の中にあるらしい。高く木が立ち並ぶ道の左右にお堂が続き、深く奥へと進んでいく。
母もこの坂を上った時は、随分息が切れただろう、北海道の叔母の腕を借りて上ったのだろうか。
歩きはじめて半時間経った頃、奥の林の中に金堂がみえた。
それまでの開かれたものとは違った。
ゆるやかな曲線の道を進み金堂の中に入る。
お堂の中はこの世のものとは思えないほど輝いていた。
藤原氏三代の思いの深さに心が追いつかない。
ただ人の世のかなしみを思う。
しばらく金色堂にいたが、そばの展望レストランに入り昼食をとることにした。
西には義経と弁慶の最期の戦いの地を眼下に、遠くは秋田との県境の山並みが見えた。
北にうっすらと見える山のことを訊くと、「あれは早池峰山でここからはめったにみれないので今日は嬉しい」と微笑みがかえってきて心安らいだ。
鶯のさえずり、フキノトウが菜の花のように背を伸ばし、梅の香りがする。


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岩手再訪、忘れないうちに書き留めた雑文、おつきあいいただきありがとうございました。
あれから平泉を出て牛小田で乗り換え仙台そして仙台空港まで行き予定通り神戸に帰って来ました。
平泉は今思い返しても人の世について考えさせられます。

再会を願った岩手への旅でしたが新しい出会いも多く、縁が切れるどころか太くなり、こうしてまた繋がっていくんだと思いました。
特に小綿さん家族との出会いはとても大切なものになりました。
今回の出会いが形を変えてまた何かへと繋がって行くと思うと未来がが楽しみです。
岩手のみなさんには大変お世話になり、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。

ではこのあたりで。また

岩手再訪 20180409

2018年4月9日(月)はれ

旅立ちの朝、米から芽が出ていた。
あかちゃん鬼の角のように、筍の先のように、ちょこんと芽が出た。
米の発芽を見たことない私にと小綿さんがこの数日間あたたかい家の中で少し温水を入れて育ててくれていた。
私が発芽で騒いでいた頃、みなさんとっくに仕事に出かけていた。
平日の朝はいつも慌ただしい。今日もいつも通りで、それが嬉しかった。
私はいつものようにご飯の後に岩泉のヨーグルトと玉山村薮川のそば茶をいただき一週間お世話になった家を出た。
小綿さん家族と過ごすことができて本当に楽しかった。

今日は小綿さんは休みで一日案内をしてくれる。
まずは近くの神社を参詣し、そのあと高速道路を使ってぐっと南下し伊達に入り平泉の達谷窟へ、そのあともう一度北上し南部にもどってきて花巻の宮澤賢治記念館に連れて行ってくれる予定だ。

まず一つ目は旧奥州街道沿いにある巻堀神社へ。ここは金勢大明神が祀ってあり、神様は男根の形をしている。森のような境内には大小の石の男根がいくつか鎮座している。
大きな石に近づくと凹みに水が溜まりそこに男根が入っている。この水が入った石の器は女性の体を意味している。
緑に包まれた境内を歩くと積もった木の葉に雪が残りフカフカしている。
立派な土俵では村人が御神事として相撲を奉納するそうだ。青年会の運動会では午後一番の演目は決まって奉納神楽だときく。神社がコミュニティスペースとして存在している。それは人と神であり、人と人の繋がるところとして。

二つ目は芋田駒形神社へ。住民は「蒼前様」と呼ぶ。
この神社は源義経が北に密かに落ちて行くときに、ここで乗馬が死んだので葬ったところという。義経の馬の供養を行った事から、ここは「チャグチャグ馬こ」の発祥地とされているそうだ。ここでのチャグチャグ馬この様子を石川啄木は渋民日記に記している。資料を読むと民俗芸能は供養踊りで住民達が大切に守っているという。
辺りは野鳥の声だけが山に響いている。木が並び立つ参道を行くと足下には杉の葉の間にクルミの殻がころりころりと姿を見せていた。
境内を出るとすぐ車道に出た。
玉山村と言えば背後に姫神山が、そして岩手山が見える。昔話では姫神山は岩手山と夫婦だったという。
姫神山は別名玉東山(ぎょくとうさん)といい、玉は金を意味しているそうだ。
姫神小桜という黒ごまのような模様の花崗岩からなる山で金がとれ、その金は平泉にも運ばれたらしい。
飯坂さんの話によれば、標高は大したことなくても登ると結構きつい山で、この山も信仰の山で、周辺にはかつて修験がいて神楽がいくつか伝承されているそうだ。
美しい玉山村をあとにして、一挙に南下し平泉の達谷窟毘沙門天堂へ向う。

達谷窟毘沙門天堂は801年、征夷大将軍であった坂上田村麻呂がここを拠点としていた蝦夷を討伐した記念として建てた岩と一体化したお堂だ。
蝦夷がここを拠点としたのは、谷を分岐する丘陵屋根に位置しているからだろうか。
毘沙門天堂のそばには高低差35mの岸壁があり、そこに大日如来阿弥陀仏のお顔が彫られている。
モノクロ映画に出てきそうな不思議な風景だと思ったと同時に何か寂しさを感じた。
神戸に帰ってから知ったのだが、私の母はこの達谷窟が大好きらしい。母が嬉しそうに話してくれた。

平泉を出て花巻まで北上する。
宮澤賢治記念館、イーハトーブ館、童話館へ行き、今日の宿「ケンジの宿」まで送ってもらう。
一人になるとぽっかり心に穴があいたようだった。
遠くには賢治が描いたなめとこ山が見える。その向こうの雪化粧の山を越えると遠野辺りだ。

岩手再訪 20180408

2018年4月8日(日)くもり

油断してしまった。朝からからだ絶不調。。
赤沢さんと高橋さんが岩泉に連れて行ってくれようとしているのに、申し訳ない。。
気分が悪すぎて外を見る余裕もなかったが、盛岡中心部を出て1時間半、岩洞湖沿いを走り山間にある岩泉町三田貝分校の道の駅まで到着した。
このあたりも久慈渓流と同様、2016年夏大船渡に上陸した台風の直撃で被害が大きい。
これほどの山の中で凄まじい台風が迫って来て土砂が崩れそうだとなると一体どこへ避難すればよいのだろう。台風上陸を体験した事のない方々の不安を想像すると、怖かったのでは、と察する。
岩泉町は広い町で、この山の中の三田貝分校から更に1時間半車を走らせると岩泉町で唯一海に面している小本地区に着く。
今日の目的は、小本地区の三陸鉄道岩泉小本駅に併設されている「こども図書館」を訪ねることだった。
ここは東日本大震災後、日本テレビの企画で芸能人などから多くの絵本が届いた小さな図書室で、その届いた本を整理して場を整えたのが「いわて3.11絵本プロジェクト」のみなさんだった。
私の知る神戸市立兵庫図書館館長補佐の片岡さんもここに来て、本の整理を手伝ったときいている。
壁には著名な漫画家が共同で描いた銀河鉄道のパネルが飾られいる。
芸能人からの寄贈本の中には、ご自分が大切にされていたものかもと思えるほど繰り返しページをめくった様子がある本もあった。
部屋の中は保育所か幼稚園のように楽しい雰囲気で、絵本プロジェクトからの支援で赤ちゃんや子どもが寝転べるようにクッションチェアが設置され、からだをくるむことができる手製のホタテ型クッションが置いてあった。
わかりやすく整えられた棚の横に貸し出しノートが置かれている。めくってみると春休みの間に本を何冊も借りていった子どもたちの字がある。
津波で甚大な被害にあった小本地区に、温かい本の部屋ができたというのは本当によかった。
人の心が少しずつ癒えていくにはゆっくりと時間をかけて愛を注いであげることが大切だとあらためて感じた。
ゆっくり図書館を出て扉の外に出ると、もう三陸鉄道のホームへと繋がる廊下だった。
ホームに上がるとちょうど下りと上りが1分くらいの時間差で到着した。宮古行と釜石行だ。
岩泉小本駅で下車する人はおらず、乗客は観光の人が多いように思えた。
鉄道の再開を願った人達もなかなか利用はしないと聞いた。
図書館にもどると入口にバギーカーがあり、窓から中をのぞいてみると赤ちゃんがお母さんが顔を寄せ合い本を見ていて、花が咲いたように嬉しかった。
それからゆっくり車に戻り帰路に着くことにした。
体調の悪い私に赤沢さんは何度も「急がなくていい。だれと約束しているわけでもないし、時間を気にすることもないしね」と微笑んでくれた。
「楽しい店があるのよ」と龍泉洞近くのうれいら商店街に寄る。
うれいらとは、商店街の目の前にそびえ立つ断崖絶壁の山、宇霊羅山に由来する。標高604mの石灰岩台地の山は何とは無しに神秘的な佇まいをしている。
宇霊羅山についてしらべてみると、【「ウレイラ」とはアイヌ語で「霧の多い山」、あるいは「ウレ=集落の背後の高い山、イォロ=岩山」の変化したものといわれているが、北東斜面に多い洞窟と関連する伝説もある】と書かれていた。その洞窟の一つが有名な龍泉洞だ。
商店街は定休日の店が多くひっそりとしていたが、興味深い店が点在していてまた訪れてみたいと思った。
名物中松屋で、クルミと黒糖と山椒が入った欽山餅というユベシを買った。
あとで食すと無二のうまさだった。
帰路は行きと同じ道を行く。
今日は最後まで体調は戻らず迷惑をかけた。
都南図書館に着き、顔が真っ青のまま赤沢さんと高橋さんに挨拶をしたあと、奥の休憩室で横になり眠った。
小綿さんの終業時間には少し回復していた。
リニューアルオープンしたばかりの「ゆーとぴあ姫神」でからだをあたためて家に帰ると、みどりさんが郷土料理を用意して待っていてくれた。
嬉しくてたまらなかった。
メニューは「ひっつみ」と「きのこおこわ」
美味しいのはもちろんのこと、岩手の歳祝いの習慣とか集落で起きた出来事とか、たくさん話ができて楽しい夜だった。

岩手再訪 20180407

2018年4月7日(土)くもり

今日は小綿さんと甥のたかくんと久慈へ向う予定だ。
その前に渋民の石川啄木記念館によるとちょうど妹光子の企画展示をしていた。
光子は宣教師と結婚し神戸に移り住んだ。ちょうどわたしの家から徒歩5分ほどのところだ。
これほど雄大な農村部での暮らしを経て移って来た光子にとって神戸はどう見えたのだろう?と気になる。
玉山村に来るまで啄木の事はほとんど知らなかったが、少しずつ人間らしさに好感が持てるようになってきた。神戸に帰ったら「啄木かるた」をしてみようと思う。
展示室奥では「サルと人と森」が上映中だった。
記念館を出て車は北上する。
山形村、平庭高原まで行くと昼前になっていた。
昨日積もったの雪が高い樹の上から堕ちて来て、車の屋根にぼとんぼとんと楽しい音を作った。
白樺並木を越えると闘牛場が見え、闘牛場があることに驚いた。
久慈渓流に入ると一昨年の台風の被害で倒木がそのままになっていて被害の大きさに驚いた。
知らないことばかり、、久慈を初めて訪問する。
久慈に着く、道の駅に向う。
画家の飯坂さんから久慈に行くなら県北のソウルフード豆腐田楽を食べてみてときいた。
道の駅内のスーパーマーケットのレジの横で実践販売をしていた。じぇじぇじぇ!
味噌田楽のような甘いものではなく、ニンニク味噌が豪快にたっぷりぬられていてかなり食べごたえがある。
お腹が膨らみすぎて車に乗るのも苦しい。
その調子で丘の上のあーとびる麦生へ向う。アーティスト熊谷行子さんに会うために。
あーとびる麦生は閉校した麦生小学校・中学校を熊谷さんがアートの現場として再生させた場所だ。
熊谷さんとは5年半前、盛岡市中央公民館の「繋がるアートコミュニケーション展」でお互い参加アーティストとして半月間同じ場所で制作をしていた。
あーとびる麦生は今日まで冬期休みだったそうで本来閉まっている日だったが、午後からミーティングがあるということで、ちょうど私たちの車とほぼ同時に熊谷さんがやって来た。まるで奇跡的に熊谷さんに会えた。
嬉しくて骨が折れそうなほどハグをした。元気でよかった。腰の調子が悪いそうだがそれでも身体の奥からエネルギーが溢れている。
館内を案内してもらうと、広い体育館をはじめ至る所にアーティストが寄贈した作品を並べてある。
ひとまわりして会議室にもどると老年期のメンバーが元気溌剌とミーティングの準備をしていた。
元気な熊谷さんに会えてよかった。
アートビル麦生をあとにし小袖海岸へ向う。NHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」の場所だ。
日本地図にあるリアス式海岸を指でなぞるように車が断崖に沿って進んで行く。
海から突き出す岩の削ぎ落とされた形は美しい。
海女のセンターの前に停車し中に入ると海女さん二人と子ども二人が店番をしていた。
ここの海女さんがとったふのりやまつもが売られている。
震災後は海の中はヘドロで視界が無く潜るのがとても怖くて勇気がいったことや、今は海流がかわってしまったという話をきいた。海も変化し続けていることをきけたことは貴重だ。
震災で唯一流されなかったという船はゆらゆらと波に揺られながら停泊している。
海岸線から細い山道を越えて、野田を通り普代の鵜鳥神社へ向う。
鵜鳥神楽は岩手屈指の神楽で、以前大阪の国立民俗博物館や西宮神社で拝見したが大変素晴らしい。
地の力に満たされたダイナミックな舞は、この地の神様への祈りだったこと、その場にこれたことに感謝する。
山の奥にある本殿に参る事ができず残念ではあったが、山の入口に立っただけで身震いがするほど霊気が満ちていた。
またいつか来れたらと願う。
田野畑、岩泉を通り、凍った岩洞湖畔の雪解け道を行く。
もう少しすれば水芭蕉が美しいときく。
早道の姫神山を岩洞湖沿いにまわる道は雪解けで大変ぬかるんでいて私たちの車以外は誰もいなかった。
岩手山側に出た瞬間ぱっと視界が開け辺りがきらきらと夕日に照らされていて、ほっとした。
夜は盛岡の中心で還暦誕生日会に参加させてもらい、早速教えてもらったばかりの誕生日の歌を輪唱した。

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後日談_
ソウルフード豆腐田楽ををおすすめして下さった飯坂真紀さんよりメールをいただきました
飯坂さんは画家・ふるさと岩手の芸能とくらし「とりら」編集者です

「豆腐はかつてハレの食べ物でした。明治時代に中央の役人が初 めて岩手県各地を視察してまわったとき、どこへ行っても豆腐と油揚げばかりが出て来てウンザリしたことを書き留めているのですが、ハレ食の豆腐を貴重な油で揚げた油揚はほんとうにご馳走だったのだと。
少し前までは集落ことに豆腐屋があって、地域の冠婚葬祭にはフル稼働したらしい。県北のおうちで手作りの豆腐をごちそうになったこともありますが、ものすごく味が濃くておいしくて忘れられません。もう食べられないけど。」

岩手再訪 20180406

2018年4月6日(金)くもり

家を出ると雪が積もっていた。
毎日、好摩、渋民を通り盛岡の中心部へ送ってもらう。
小綿さんの家から最寄りの駅は好摩駅になる。
渋民には役所の出張所や啄木記念館もあるが、好摩駅の周りには少しだけ店や家があるが静かな感じだ。
駅が出来た頃には駅の近くには何もなかったらしい。
その理由は鉄道が出来たということは、都会から病原菌も入って来るかもしれないということで、駅は人々の暮らしから少し離れたところに作られたらしい。
好摩の辺りには妖怪あずきとぎの石碑がある。
明圓寺には一字一石一礼塔というものが立っていて、これは米飢饉の時に亡くなった人々の魂を鎮めるために一つの石に一つの名前を書いて供養したらしい。
米といえば、四十四田ダムに向う道から見える大きなパイプは水を流すためのものらしく、一時期、稲作推進の政策の際に、渇水を防ぐため引かれたものでかなり長い距離を通しているという。大胆な政策だ。。
もりおか町家物語館駐車場に着くと絵本プロジェクトの赤沢千鶴さんと名古屋理恵さんと澤口杜志さんが待っていてくれた。
今日は3人で沿岸部の大船渡、陸前高田に向う。しばらく南下し途中遠野宮守の道の駅に寄る。
ここの眼鏡橋宮沢賢治銀河鉄道の夜のモデルと言われている。
今は釜石線だが賢治さんが生きた頃は軽便鉄道が通っていた。
大船渡に着くと盛駅近くのNPOおはなしころりんの江刺由起子さんに会いに行く。
おはなしころりんは読書ボランティア団体で市民の茶の間的存在になっている。
江刺さんはいつ会ってもパワフルでしっかり社会を見つめながら必要だと思う事を形にされる。その行動力と決断力には脱帽する。
スタッフの方が「ざっぱかしですけど」とお茶を出してくれた。ざっぱかしというのは粗末な?雑な?いや、、なんと言うかスナック菓子みたいなお菓子ですけど、、と言う時に使う気仙語らしい。
気仙語といえば、医師で気仙語研究者の山浦先生のことが気になっていた。
江刺さんに伺うと診察もされているときき安心する。
少しでも会いに行けばよかった。
途中から大船渡市会議員三浦隆さんが来られる。
5年前、三浦さんのお宅に友人達と泊まったことを思い出す。もうお母様も飼っていた犬も他界したとのこと。
犬の散歩にでかける姿が偲ばれる。
時間は短かったが、No.3ギャラリーの水野泉さんを訪ねる。顔が見れて良かった。
蔵の中では5月祭の山車の制作中で、泉さんは隣の趣のあるオフィスで仕事中だった。
ここ水野商店は陸前高田に本社がある酔仙酒造のはじまりの地で、五葉山からの伏流水に守られている。
お昼ご飯を食べながら三浦さんから大船渡の今のことをきき、それから陸前高田に移動した。
読書ボランティアのお二人に会う。
眺めのよいカフェができたということだったが、海へと向う窓の外はまだ新しい建物は建っていない。まだ街灯もないが、ここがメインストリートになることは決まっているそうだ。
海と反対側に出ると目の前に商業施設があり図書館が併設されていた。
木で内装された明るい図書館で、そこで開いた畠山直哉さんの写真集が印象的だった。
画家の鷺さんが元気だときけてほっとする。
帰りはゆっくりと、、宮守の道の駅にある賢治の資料館に立ち寄りながらお話しながら、少しずつ小綿さんのいる都南図書館へむかう。
大船渡と陸前高田に行けたことに感謝する。

岩手再訪 20180405

2018年4月5日(木)くもりと晴れの間

都南図書館内を案内してもらう。
きれいな大きな図書館に手作りディスプレイがかわいい。
最寄り駅の岩手飯岡駅から盛岡駅まで移動し歩いて材木町の光原社へ向う。
光原社は宮沢賢治の「注文の多い料理店」を出版したところで、敷地内には資料室や民芸品や喫茶ルームなどがある。
午前11時に光原社で絵本プロジェクトの澤口杜志さんと小田葉さんと待ち合わせをしている。
お二人は柔らかな笑顔が素敵な女性で、会ってさっそく敷地内を案内してくれる。
中庭の中央にある木が林檎の木だと教えてもらい、通りにある賢治さんの銅像と一緒に写真を撮ってくれた。
光原社の喫茶室でコーヒーとくるみクッキーを食べるととても美味しくて驚いた。
二人の人柄にリラックスして、初めて会ったと思えないほどよく話をした。
ハウプトマン作曲の誕生日の歌をこそこそばらしのように顔を寄せ合い歌ってもらった。
喫茶室を出て車で「うすゆきそう文庫」へ向う。
ここは杜志とお友達と3人で運営されている文庫で、うすゆき草は早池峰山にある高山植物エーデルワイスのような可憐な花らしい。
早池峰山は憧れの場所なので、なにかそわそわした。
「お昼ご飯はね〜」と盛岡名物の福田パンコッペパン)を6種類も用意してくれ、みんなで分け合うのに各味のパンを4分割してくださった。
それをスープとコーヒーと食べる。
午後2時になると子どもや大人がやってきた。ここは塾でもないし家でもないし皆の憩うところ。
小学生は明日から学校だと話してくれた。
「今日は特別ゲストがいらっしゃいますよ」と紹介を受け話をすることになる。
何の話をしようかな、、と思ったけどインドのことにした。
インドのかまどの話から「エンザロ村のかまど」を読んだことがあるか?という話になる。
午後3時になると、うすゆきそう文庫を運営する三人が揃い、語りやわらべ歌がはじまった。
優しくて、静かで、ほっとする。
ここはシェルターみたいと思った。
つくしはつんつんでるもんだ。。。というわらべ歌も習った。
幸せな時間を過ごし、うすゆきそう文庫をあとにした。
車で紺屋町で降ろしてもらい喫茶クラムボンに寄る。近くにできた本屋に寄りながら肴町まであても無く歩き、ナナックで小綿さんの迎えを待つことにした。
家に帰ると、甥のたかくんも来て大変賑やかだった。
早池峰山に咲くうすゆき草は、山の中にそっと佇んでいるのかな、、そんなことを思いながら、おやすみなさい。

岩手再訪 20180404

2018年4月4日(水)くもりのち雨

朝の散歩、岩手山神社まで往復5キロを歩く。
唐松と熊笹の車道はフキノトウのパレード、歩いている人は全く見かけない。
ときどきトラックが隣を駆け抜けて行く。この道は雫石と繋がっているからだろう。
今日は曇っているので岩手山は見えないが、たしかにこの先に山がある気配を感じる。
雪解け道の境内には人の気配はなく近所の犬の吠える声が響いている。
湿気を含んだ葉がクッションのように柔らかい。
小さな狛犬のそばで空を見上げると杉の木が空に向ってまっすぐ伸びていてそれ以外何もないほど贅沢だ。
小走りで家に着くと長内さんがストーブに薪をくべていた。
食卓には昨日網張温泉で見つけた立派な干し大根と鯖の煮物が並んでいた。
再会を約束して長内家をあとにした。

10時半に肴町のナナックで飯坂真紀さんと待ち合わせをしていた。
「ナナックの美味しいパン屋さんの前で」というメッセージはいかにも飯坂さんらしい。
一角に盛岡のパン屋さんが少しづつパンを持ち寄って販売しているカウンターがあった。
近くには岩手特産コーナーも併設されていて、飯坂さんは既に到着していた。
飯坂さんとは2012年冬「はなしの旅」の最終回で神戸に来ていただいて以来の再会になった。
飯坂さんは画家さんである一方、岩手の民俗芸能に精通し、ふるさと岩手の芸能とくらし「とりら」の編集者でもある。
岩手が民俗芸能の宝庫だと教えてくれたのも飯坂さんだった。
自ら歩きみて人々と接し重ねた話は大変説得力があり興味深い。
さて雨降り予想ということで、まずは折りたたみの傘を買い歩き出す。こういう時に入る地元の店っていいな〜
もりおか歴史文化館、岩手銀行赤レンガ館、桜山神社近くの少しお高い食材屋もチェック。盛岡はかっこいい建物が沢山あってうっとりする。
近年解体反対運動で残ったという岩手県公会堂の前からバスに乗る。すっとバス券を差し出してくれた。
昼ご飯はチッタという感じのよい店で地元の野菜をふんだんに使ったカレーを食べる。やはりカレーなのです。
近況を語り合った。共通の知り合い書家の沢村澄子さんに連絡をとり、このあと盛久ギャラリーで会う約束をする。
店主は長内さん飯坂さんと同じ岩手大特美コースの出身で彫刻を専攻していたという。関西なら竹が沢山あるか?という質問に何の事?と思ったが、その訳は東北は関西のように竹が自生しないということだった。彼は青森出身だった。
店を出る頃には雨が激しくなっていた。
傘で身を隠しながら盛久ギャラリーに着くと、しばらくして沢村さんが現れた。
その後、桜山神社近くの六月の鹿という喫茶店で珈琲とチーズケーキを注文する。窓から堀を見下ろせる。初夏には蓮がきれいだそうだ。
主人は道具を繕っている。
雨はまだ降り続けていた。駅前まで移動して新しくできた古本屋を探したが休業日だった。
飯坂さんとは駅の中の本屋で別れ、そこから東北本線で2つ南下し岩手飯岡駅下車、都南図書館まで行く。
小綿さんの仕事終業後、盛岡冷麺を食べ、家路につく。

◯はなしの旅
高濱浩子の「はなしの旅」
2012年の1年間、2ヶ月に1度ゲストを招き「野生」をテーマに語り合うトークイベントを行った
場所は神戸港第4突堤にあったSTUDIO Q2(C.A.P.)
最終回は「岩手のくらしと芸能」と題しいゲストに飯坂真紀さんを迎えた
「一変したふるさとの地を踏みならし、祈り舞う。自然の猛威を知る人達が、必要としてきた祈りのかたち芸能とは何だろう。
私たちは形のないものと交わりを繰り返しながら、命をつないで来たのでしょうか。」(はなしの旅案内より)
http://www.cap-kobe.com/club_q2/2012/10/24170912.html